「意味はない」へシフト
昨日帰宅したら作ってあった
あっきー作ポテチ。
ディープ・パープル色のジャガイモ
「シャドークィーン」。
とてーも、旨い。
芋自体が旨い。
これは来年も作るかな。
さて、もろもろ製作物は完了して
昨日はレコーディング。
ファンと言ってくださる
3名様が見学してくださる中での
公開レコーディングをやってみた。
サスガになんだかんだ10年近くやってるから公開出来るわけだけど
観客がいるというのは
良い部分もそうでもない部分もある
良い部分は
真面目に頑張れるってこと
そうでもない部分は
結構頑張るから疲労することか。
若くないし、そんなに真剣でもないから
通常は2時間もやれば「頑張った」方だけど
昨日は昼前から夕方まで
かなーりやった
それなりに緊張感あるから出来も良いしね。
そういう意味では凄く良かった
お陰でだいぶ進んだしね。
しかし疲れたよね~
帰ったらあっきーの作った夕飯食べて
そのまま寝る勢い。
ま、こんなことも
何かしら必然なのだ。
全ては起こるべくして起こっている。
そう。
認識を変化させていく
初歩の初歩は
「意味がある」と思うことから。
ネガティブな(と感じる)出来事があったとき
ひどい最低だ、とネガティブに捉えて怒りや悲しみの感情(バイブレーション)を発動させるのではなく、
「こういうことが起こるのは何かしら学ぶべき事があるからだ」
「この出来事の中に宝物がある」
という捉え方、いわゆるポジティブシンキングをすることによって
出来事が起こったあとのパラレルを変えていく。
それが定着してくると生き方が結構楽になる。
しかし、そこに居すぎると
修行僧化する。
何かを学ぶために苦しい体験が必要
宝物を見つけるために苦難に突入
これは完璧な「地球遊び」だ。
その辺にいるなと自覚した場合には
…それは例えば
以前よりも凄く楽になったけど、何故かしょっちゅう悶絶してる
お金は入ってくるようになったのに、何故か不安が抜けない
ていう辺りだ。
そうなったら
「意味がある」という3次元思考を脱出する。
意味は、無い。
じゃあネガティブな出来事はやっぱりネガティブなのか
いや、そうじゃない。
出来事をネガティブだ、と判断しているのは誰?
車をぶつけました、というとき
これを「ネガティブな出来事」だと決めたのはだれ?
車をぶつけた、という事実がある。
ぶつけてへこんだ車体に違和感を感じればお金を払って修理する。
この一連の作業の中のどこにネガティブがあるのか
ぶつけたことは悪いこと
出さなくても良いお金が出て苦しくなる
っていう感じか。
車をぶつけた=悪い
お金が減る=苦しい
という思い込みを取り払っていく。
これは例えば
肉体の劣化(=老化)や病気、障がいなんかもそうだ。
病気、障がい=不幸
それほんと?
体に違和感はあるしね
痛みや重たさ軟化もあったりして
だけど、それと生きる幸せが連結するかどうかはその人の価値観次第。
病気や障がいが不幸ならば
その人は不幸な病気(障がい)人生を生きている
病気がただの病気ならば
体は病気や障がいだけど幸せな人生を生きる。
私は先日まで右手中指の関節炎が悪化して
ずっとテーピングしてた
その痛みを「つらい」と感じていた
けど、ハッと気がついて
「ツラい」をやめた。
痛いからテーピングはするけど
つらくはない。
(ここちょっと難しいね)
痛みや動きの悪さとは付き合うし
そのための治療や対処はする。
だけどつらいとか不幸とかは関係ない。
事実は事実でしかない。
そこにネガティブな価値観を与えないだけだ。
うーん、ちょっと分かりにくいね~
それで関節炎は治るのか、と確認したいところだが
それは、治っても治らなくてもどっちでも良い。治らないなら痛みと付き合いつつ仕事をするだけの話で
治るかどうかに関心がいくうちはどっぷり3次元だ。
(ま、かなり軽減してるけど)
でも、そこなんだよ。
病気=不幸だと
思い込まされてる。
そういうもんだと思っちゃってる。
眠ってる。
起きて生活してるけど
大事な「事実をシンプルに捉える感覚」が
完全に眠っている。
今の世の中の「あたりまえ」に
キレイ~に合わせて
そうだ、と思っちゃう。
子供は学校に行くべき
と、自然に思っちゃってる。
眠っている。
意識は起きているのに
本当のことがわかる感覚が眠ったまま生きている。
その、眠った意識から目醒める。
本当の私の意識に目醒める。
それが、アセンション。
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