予測と残像
私があまり映画やドラマを見ないのは
見た後にその世界を引きずる傾向が強いから。
最近、少し前のドラマを全話立て続けに見たら
その後はやはりかなりドラマの世界が頭の中で居座り続け
久しぶりに困ってしまった。
が、なるほど、そういうことか
と再認識したので
いつものセルフヒーリングでその「残像」を消す努力に切り替えた。
すると1日くらいで脳の中の残像は薄まっていった。
日常生活も、映画やドラマと同じです。
起こった出来事や人間関係、、あらゆることが
「残像」として脳内に残り続け
その残像、記憶に焦点を合わせてストレスを感じ続ける。
目の前にいる人以外は
どこにいて何をし、何を考えているかは「わからない」。
しかし、誰かと出会った時の記憶や、残像とかかわり続け
「きっとあの人はこうに違いない」と予測までする。
予測の段階まで行くと、それはもうほぼ「妄想」と同じで
考えること自体が無意味だということに
なかなか人は気付かないものです。
予測した通りにならなければがっかりしたり、
逆にラッキーと感じたりします。
予測という仕組みに散々裏切られた人は
その辺をある意味コントロールするために
「期待しない」
「悪い展開をあらかじめ考えておく」
みたいなことをすることもあるでしょう。
それ、全部意味のないことです。
期待自体、必要ない。
ついつい期待(予測)してしまうものですが
そして期待していることにさえ気づかないのが
私たちですが
期待ほど無意味なものは無いので
期待していると気付いたら
速攻ヒーリングするのをお勧めします。
悪い展開をあえて考える、、というのも
今となっては本当に妙な行動ですよねぇ。
残像もいらない
期待、予測もいらない
基本、考えない。
あるのは「今、ここ」だけだというのは
そういうことです。
そして、今見ているもの、感じていることは
全て完璧だと心得ておくと良いですね。
完全なるプレゼンス。
「今、この状態が最善」というのを
統覚視点「私」として定着させていくと
毎日の生活は結果的に激変していきます。
楽になりますね^^
では、シャツ縫います。
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