なんでもない人として生きる(加筆修正済み)
今日も朝からパートに出かけ
モーレツにマスクを縫い
お洋服のお直しを受け付けて
3時過ぎにアトリエに。
先日作ったパジャマを改良して(足首が締まるようにリブニットを縫い付けた)
長袖ブラトップも改良(こちらはほぼ完成)
依頼されていたものを試作(縫い物です)
気が付いたら夜6時過ぎていたので
帰宅したら
アッキーが野菜の天ぷらを揚げてくれていました。
私は味噌汁を仕上げて
カリフラワーを茹でました。
夕飯を食べた後、
先日作り置きした塩キャラメルソースで
パウンドケーキを焼きました。
…まぁ、毎日がこんな感じで過ぎていきます。
そうして過ごしながら
私は自分の「気分」を観察しています。
同じパートで働く少し年上のお姉さまが
新しい仕事が増えて少し大変そう。
それを眺めながら私の中に
「何のために生きるのかな」という問いかけが出てきて
「その「大変」を体験するために生きている」
と回答が出る。それ以上の何もありません。
根深い意味も別にありません。
「体験する」こと、それが全てなのです。
そのことに気づいた瞬間から
今まで生きていたすべてのものが違って見えるようになります。
何かになりたい(=自分が何なのかわからない)
自分らしく生きたい
使命を知りたい
自分の価値を感じたい(=私には価値が無いと感じる)
輝きたい(=輝けていないと感じる)
充実したい(=充実していないと感じる)
地球にやってきた意味を知りたい
…などなど
いわゆる「無価値観」を解消するためのあれこれを
模索して、意識を外に向けて動き回ろうとしているうちは
絶対に気づくことはありません。
「わかっちゃった」人は
上に書いたような承認欲求、自己実現欲求が完全に無くなって
在る ことや
体験 しているということ
今、ここ
自分の目が今見ているものを見、
自分の耳に今聞こえてくるものを聞き
意識の中に今感じることを捉える
ただ、それだけを「リアル」として生きるようになります。
過去のことを思い出して傷んだり恨んだり
未来のことを妄想して緊張したり不安になるようなことは
完全に無意味だとわかってしまいます。
今、私の内側、感じること
それだけが意識の構成要素なんだ、と
「わかっちゃう」のはわかっちゃえば
めちゃくちゃ簡単な事だったとわかるんですけど
その意識に切り替わるのには
えらく、、、それはもう、考えられないほど
難しい。大半の人はそこを乗り越えられずにいるのかもしれません。
先日、たまたま目にしたスピリチュアリスト(名前だけは知っていた)の
動画を始めて拝見して
アセンションのことをきちんと解説しているなぁと感じましたが
その言葉づかいではなかなか真意が伝わらないんじゃないか
と感じました。
「その問題も、全てあなたが結晶化させたんですよ」
「私たちは望む通りの世界を生きることができる」
これが、一体どういうことを指すのか(多くの人が勘違いして、何かしら頑張ろうとしてしまうような気がします)
確かにその通りだと私も思いますけど、今の我々のリアル感覚でいけば
どうなっていることを指すのか
しっかりした「翻訳」が必要だと思っています。
なんとなくわかる英語の会話を聞いて
よくわからないけどなんとなく「ア~ハ~」と答える感じですかね。
でも結局何を言っているのかはわからないまま、、っていう。
そこらへんをセッションで翻訳、解説しています。
さて、話を戻して。。
いつも楽しいとか、豊かだとか
愛を感じているとか
もちろん、それは良いんですけど
大変、とか苦労する、とかムカつくとか
そういうのも
「味わっている」
という意識になるならば
それだって大切な「体験」にほかならいわけで、、
そうすると
毎日のなんでもない生活がキラキラしていることに
気が付くかもしれません。
特別でもなんでもない
フツーの中年女子(おばちゃん)として
パートに行ってミシン仕事でいくらかのお給料をもらい
好きなミシン仕事を自分ちでもやって
自分の服や身近な人に頼まれた服を縫ったりして
高崎でちまちま生きる
これが、地球で生きる私の全てです^^
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