セッション的話題「自己肯定感」
夏の電車は冷房で冷えるんで
長袖のシャツと
シルク二重編み靴下と
同じ作りの手首ウォーマーが必携だ。
それでも若干寒いもんね。
こういう気持ちで電車に乗るのは
不思議な気分。
慣れない。
まぁー、ひと言で現せば
「すやすや」
てとこか。
昨日、意識のシフトが具現化して
癖で揺れてるけどね
これ凄いね~。
気持ちいい。心地よい。
アセンションのセッションを
結構やってきて
第一関門、、
スピ的な表現をすれば
「ゲート」だけどね
それは「自己肯定感」だな、と思う。
自己肯定感が低いと(ほとんどの人は低い)
とりあえず他人をガン見
そして比較して「自分の低さ」を探して確認する。それは、積極的に探して確認する。
あるいは、他人の低さを確認して自分の方が高いと結論づけたりする。
なんにせよ
他人との比較によって自分の価値を判断したがる。
自己肯定感が低くない人にとっては
「自分は自分、他人は他人」で済む話が
二重、三重にややこしくなったりする。
その比較ステージを土台にしてしっかり足場を固めたら
いかに自分の価値を上げるか
ということに奔走する。
あらゆる探索と努力を繰り出して
せっせせっせと邁進。
自分の波動に合った「価値の高そうな人」を見つけて
同じようになれば自分も価値が高まるのでは、という予測のもと
その人めがけて邁進。
依存となるケースもある。
…で、結局その人にはなれないとわかったり
その人がそれほど高い価値の人ではなかったと感じたりして
憧れの人と同じようになることをやめる。
依存が強い場合には
食い付きが反転して恨みになり(相当エネルギーを投入してしまうので)
性質によっては行動に出て攻撃化することも。(被害者の会を作って批判するみたいな感じ)
そして、別の「価値の高そうな人」を探す
というループの中にはま…
…っていたのは私なんだけど笑
技術や情報を得るために誰かに師事するのであって、その人のようになる必要はない。
学び終えて、用が済んだら「知人」「友人」、せいぜい「恩師」になるだけなのにねぇ。
私は酷かったねー
自己肯定感が低すぎて
パフォーマンスを上げすぎたクチだ。
器用ではある。行動力もあった。
それらをフル動員して
本気で動きまくった
自己価値を高めるために。
だけど、そこが根本だから
いつも苦しくて
どんなに成功しているようになっても
苦しみの状況へ
自分を追い込んだ。
そして恨んだ(うへー昭和ー)
ま、しかし
その努力の産物として
今もなんだかんだ仕事があるのはいいね。
やっぱり頑張るのも悪い訳じゃない。
頑張り方がずれていただけだ。
で、私みたいなキョーレツな自己肯定感低い人間が
意識をアセンションさせていく上で
まぁー四苦八苦するのが
自己価値に気付くまでのプロセス。
自己価値が低すぎる場合は
はっきり言って時間がかかる。
私は丸々2年かかっちゃった。
自己肯定感を取り戻せばアセンションになるかと言えば
それは第一関門に過ぎないのでね
その次のプロセスへ進むのもこれがまた結構な難易度なので
私の場合は、、
まぁ~2020年末ギリギリかねぇ~。
で、自己肯定感を取り戻す為にセッションで伝えていること
自分の名前を呼ぶ
自分を愛している、と言ってみる
…と書き始めたらやたらたくさんあることに気付いてはしょる。
最終的にはハイアーセルフ=自分という体感に持っていくことが重要。
知識として理解はできても
「あ、ホントに、確かに私がハイヤーセルフですね」
と「わかる」ところまで。
これはね、自分に言って聞かせるアファメーションとかではなかなかならないかもねー。
言葉には出来ないんだけど
セッションの時に私が行っている波動調整などで
「ハッとした気付き」へ誘導がうまくいけば、そしてその流れを継続出来れば
意識の覚醒は起きると思う。
私=ハイヤーセルフ
がわかると、それはすなわち
自分の万能性にも気付くこととなり
余計な頑張りや目標設定や
他人との比較がみるみる薄れていく。
楽になる。
自分はこのままの自分で良かった、となるわけだ。
そこまで来たら、ようやく次のステップ
、、となるんだけど
次のステップを同時に進めながら
自己肯定感を引っ張り上げるようなこともやってるね。
やってるんだけど
結局、そこが肝心なんだな、と
今の自分の清々しい心の景色を感じながら
思う。
通勤ラッシュが始まってる。
ここはグリーン車で
相変わらず寒いんだけど笑
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