意識の書きとめ8月1日
下がった波動を戻すのに丸一日かかって
それでも完全に戻りきらず
ゆらゆらしている。
波動が上がるとどうなるかというと
頭の中が基本的に空で
湧いてきたこと(降ってきたこと)と
目の前に現れたものに対して「感じる」
そして動かされる場合には動く。それだけ。
過去という記憶情報がどんどん消えて
必要な情報はその都度降ってくる。
だから覚えておく、という感じではなくなる。
下がるとどうなるかというと
それは、下げ方にもよるんだけど
少し前の状態、、私のタイムラインで表せば
2ヶ月ほど前の状態か?
「私」と「自分」が会話する。(この状態は結構波動を上げてきた状態)
シンプルに感じている「私」と
それまでの生き方や習慣性に従って生きてきた「3次元の自分」が
やりとりする。
…自分の中の天使と悪魔が存在して討論する感じか?
スキップしようとする「私」に「三次元の自分」がブレーキをかける感じか?
三次元の自分、というのが妄想だと気付かない状態だね。
そこで意外と大きな負荷が(ストレスともいう)かかるので
なんとなく疲れていたり、気分が下がり気味だったり
、、ま、要するに気が晴れない状態のまま
それが続くと肉体にも影響が出たりする。
ただ、あえて書き添えれば
三次元の自分という妄想を持ち続けて生きるのは悪いことじゃない。
それは趣味レベルの話しで「どんな車に乗りたいか」と同じような話でもある。
ランドクルーザーに乗りたいと思いながら
ヴィッツに乗るのはいろんな事情があってそうなんだけど
別にそれでも不自由は無い。という感じ。
嫌ならランクルに乗り換えればいいし、ヴィッツも悪くないと思えば
ヴィッツに乗り続けるだけ。
ランクルにのりなよ~ボクのあげるよ~といわれても
いや、そんな、車は自分で買わなくちゃと思うから今はヴィッツで。
ヴィッツだって良い車だし。
それ、何の問題も無い話。
そういうこと。
だから、三次元意識から抜けることが素晴らしくて、
三次元意識で生きることが劣るという問題じゃない。
もしそう感じるとしたら、その時点で三次元意識となる。
価値を履き違えている。
それにしても
先日大きく意識のシフトがあってからは
カラリと晴れ渡った湿気の無い秋の空のような気分だったけど
少し波動を下げてみたらこれだ。
うわー、すごいって思った。
三次元意識は、強力だ。
三次元意識って、物理世界のことを指すわけじゃない
物理世界を見ながら
自分の頭の中で展開する妄想劇場。これが三次元意識。
本気の三次元意識っていうのは、それが当たり前でそれこそ
その状態で何も考えてないくらい没入している。
「俺の命はお前にやる、そう言ったあなたはもういない」
ていう演歌の歌詞を聞いてグッとくるくらい、没入してる状態。
俺の命はお前にやる?
それ、ありえないし。
裸の王様を見て「わー素敵(でもそう見えない私はダメな人間)」と思うのが三次元意識。
裸の王様を見て「え、パンツ一丁じゃん」と思うのが三次元から抜けた意識。
それを考えると
本当の私と三次元の自分がやりとりをする、というのは
だいぶアセンションしてきた人の意識状態といえる。
裸の王様でいけば
「パンツ一丁じゃん。…だけどそんなこと、、もう思っても良いよね!だってホントにパンツ一丁なんだもん」と、三次元意識の自分に確認とか許可をとってる状態。
更に進んで
物理世界が、単なる物理世界として見えて
そこから関連して紐付けされた
自分の中で起こる、過去の体験に元づく様々なストーリーが
全部妄想(夢)だと気付いたところで
大きな覚醒が起こる。
あとは夢をやめていくだけだ。
裸の王様はパンツ一丁だ、と知っている。それだけで済む話。
(別に人に言う必要もないし)
ま、ここが三次元意識どっぷりで生きてきた私には
超絶難易度が高く感じる。
わかっちゃえばうっそみたいに
簡単で気楽で優しい世界でしかないんだけど。
いかにここんとこが難しいか
それは、その難しさに気付かないところにあるんだ、
と気がついた。
真剣に取り組まない限り、
本気でコミットしない限り
この超簡単な世界へと脱出することは難しいとみた。
現実を変えたいと思えば思うほど、
その現実に「取り組もう」とすればするほど
この道のりは遠くなってしまうんだよね。
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