居るだけ
歌を作っても
ミシンで布小物を作っても
うちで料理を作っても
レジンで押し花を封じ込めても
何をしても
こみ上げてくる喜びの波が凄い。
うわっ!ってくる。
はちきれんばかりの喜びの波動
地球だから余計に強いんだろうな。
あと、まだ不慣れだから強烈に感じるんだろうな。
以前は
「誰か」に「喜んでもらえて」「認められて」
喜ぶ自分だった。それが目的だった。
誰かの喜びの為、、と言いつつ
それが自分を満たす一番強い刺激だった。
それは、
喜ばれなかった時、認められなかった時に
激しく落胆し傷つく、という事態を招く。
頑張れば頑張るほど喜びが大きいが、
落ち込むことも多い、、という激動型。
それが苦手、という場合は
喜びもそこそこだが
落ち込むこともあんまりない、、という穏便型。
ま、いずれにしても
他人に価値づけを明け渡している以上、
どこまで行っても「本当の自分」とは一致してこない。
誰かに認めてもらうことを完全に手放して(あきらめてと言ったほうがわかりやすい)
自分の喜びに責任を持つことに専念する。
もちろん他人を無視する必要は無い。
そこは「優しさ」を用いることにしている。私の場合。
いつも自分の中に喜びがこんこんと湧き出ていると
「誰か」に「どう思われても関係ない」。
喜んでもらえればそれは良かったですね、となるし
喜んでもらえなければあらそうでしたか、で終わる。
なんせ、自分の中が凄いアゲアゲで満たされて
なんだかもうこれ以上何もいらんわ~
という状態だと、その辺はどうでも良くなってくる。
10日後にライブをやるけれど
お客さんが来ても来なくても、もうそこはどうでもいい。
そのための準備としてCDを作ってきた過程で
こんなに凄い喜びを味わっていて
当日は(今のところ5人くらいは来てくれるそうです)
目の前の人にいい演奏とトークが出来るように思う。
認めてもらうとか喜んでもらうとか
実績が出るとかそういうことが要らない。
ここに、いるだけでいい。
(場所移動をしない、ということとは違う)
「取りに行く」というようなことを一切しない。
湧いてくるものだけを原動力にして
カラダが勝手に動いていくままに動くだけでいい。
もう少しわかりやすく変換すると
「ねばならぬ」「~した方がいい」「○○が喜ぶだろうから」
はしない。
「~したい」
時だけ動く、という話し。
「~したい」も、かなり純度の高い状態にしていく必要がある。
ここは、三次元思考が強いと依存との見分けがつきにくい。
だから~したいなぁと感じた場合は
本当に~したいのか?私
と視点をシフトして自分に問いかけてみると良い。
チョコレート食べたいなぁ
本当にチョコレート食べたいのか?私
と問いかけて
いや、別にいらんかと思えば食べない
はい、めっちゃ食べたい、、となれば食べる。
ここは純度が上がってくると
もの凄い精度で流れとリンクして
全部ドンピシャだ。
引き寄せどころじゃない。
あとは、都度都度沸き起こるネガティブ要素を
その場でキレイに解消できれば
けーっこうに楽しいことになる。
丁寧である必要がある。
ここは「努力ポイント」とあえて言いたい。
アセンションにコミットしていれば
努力が、楽しい努力になるだけだけど。
え~面倒くさい、と感じる場合、
なんだかんだと理由をつけてやらない場合は
コミットメントが甘い、、
つまりそれほど望んでないというだけのこと。
それはそれで自由選択だしね。
そこを超えて
「居るだけ」
「存在してるだけ」
(いや、仕事もしますし家事もしますよ)
の凄い楽しい波動域に入っていけば
別の地球に住む感覚になるかもね。
とりあえず
「居るだけ」
「存在してるだけ」
というのがどういうことを指すのか
わかればいいね。
これは文章では表現できない領域だけどね。
さぁ、今日も仕事して
前橋CITYエフエムに収録に行ってくるよ
来週17日夜9時半からの「沖縄Music Wave」で
「島にあこがれて」完成バージョンが
CDのリリース前に公開されます。予定です。
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