孤独を超えて
最近、アセンション的アプローチで
話をすると
話している相手の気分を害してしまう、、ような感じを受ける事が多い。(実際に相手がどう思っているかはもちろんわからない)
今日もそうだったなぁ。
ダイエットしたいと言っている人に
食べ物の制限よりも
意識の偏りを解除する方が楽だよ
なんて話をしたら
どうもイマイチだったみたいだ。(笑)
ま、仕方ないね。
もう、乖離してしまっている。
だから
その辺は周波数を合わせないで
合うポイントだけを合わせていく。
それでもなにかしら
整合性を失いたくないと感じている自分に気が付いたので
なぜ?
と高次に問いかけてみたら
すぐに答えはやってきた。
孤独感
と私(の高次)は伝えてきた。
アセンションは
ここを必ず越えていくことになる。
孤独感というのは
三次元思考そのものだ。
アセンションした意識にとって
孤独という感覚は
絶対に存在しない。
「私」が全宇宙だから。
やっと、手放すときが来たみたいだ。
潜在的な深い意識レベルまで
どっぷりと染み着いている
孤独感
手放す方法はいつもとおんなじ。
捨てていくだけだ。
捨てるのは、とにかくコツコツ
無くなるまで捨て続けるだけだから
決して難しいわけではない。
難しいのは「気付くこと」。
気付く事さえ出来れば
捨てていける。
日々起こる色々は
「気付くため」だけに存在すると言っても過言ではない。
難しいことが起こったときは
大変だー頭くるー
と憤っている場合ではない。
なぜ、こういうことが起こるのか
何に気付けと言うのか?
という問いかけを積極的に行う。
起こる出来事に無駄なものは一つもない。
宇宙は完全だ。
認識すなわち創造
という意識を取り戻すにつけ
宇宙の完全さが
ますますリアリティを増していく。
難しいっぽいことはどうでも良い。
要は
私は寂しいと感じていた
ということだ。
人と人が分かり合うことは永遠に無い、
という真実を頭で知りながら
人に伝えながら
寂しさをそのままにしていた。
本当にわかっていなかったのは私だ。
このあいだの「期待」も根っこは同じだ。
凄いね。
寂しさ、孤独感を
手放そう。
なんだかなぁ
すこし複雑な気持ちになるね。
うん、確かに
孤独は甘い匂いがする。(笑)
あはは
でもね、もちろん手放すよ。
あぁ、手放そう。
孤独感を手放すとどうなると思う?
無限の愛の世界に
一気に変わっていくね、これ凄い。
あー、これ、
意外と決意がいる。
ちゃんとコミットしてないと二の足ふむね。
頑張ろう~っと(^^)v
0コメント