抹茶チョコをサンドしたチョコクッキーしかもハート
これはいいね。
私にしては映える感じ♪
抹茶だけど、ココアの向こうの抹茶だからかね、
抹茶感が薄らぐというか
チョコクッキーにビター感をプラスしているようにも感じるし
ココアの隙間から抹茶が顔をのぞかせているようにも感じる
チョコ(ココア)と抹茶
チョコなのに、抹茶
脳はくっきりした味の両方を追えないよ~
どちらかを追えば追った方の味になる
追うのをやめると
味が融合する
ツインボーカルのうちらみたいだな。
どちらかになった方が良いのか
じんわりなじんで混ざるのがよいのか
そこに正解は無いと思う。
どのパターンも楽しんだらいいんだよね
チョコが好きな人はチョコをひたすら追う。抹茶がビターを添えてくれる
抹茶が好きな人は抹茶をひたすら追う。チョコの間からしっかり飛び出てくるから。
もちろん、ハーモニーを味わうのもいい。
音楽と同じだな
人は聞きたい音を聞く。
どの声を聞くのか、どの楽器の音を聞くのか(どの音に周波数を合わせているのか)
によって聞こえてくる(感じる)音が変わる。
(耳の神経がそうなっているらしい)
同じ髭ダンを聞きながら
聞いている人によって全部違う髭ダンが流れている。
誰かと全く同じ髭ダンの歌を聞くことは永遠に、無い。
「良いよね~」
「うん、サイコー!」
と、語り合う2人はそれぞれの感じる音楽をひとりで聞いている。
あたかも一つの音楽を「共有」しているようで、実際どう聞こえているか、どう感じているかは2人それぞれの世界であって、全く同じかどうか、、どこにも確証はない。確認のしようも無いのが、本当のリアリティ。
「良いよね~」
「え?そう?どこが?」
と、全く同じなんだよ(笑)
それなのに意見が同じだと良くて
意見が異なるとダメ、って
それで戦争まで起きちゃうんだから
目を醒ますっていうのは
誰が何を言っていても、やっていても
「あなたはそうなのね。私はこうだけど」
反応するならそんな感じで
もっと進むと
誰かが何か言っているのを聞いたとき
「あぁ、私はここ(言っている人、あるいは内容)に関心があるのかな」
と気付くだけで終わり。
ワクワクすれば返事をしたり、調べたりするだろうけど
そうでもなければ意識の中で断捨離してスッキリ。
その次からは
同じ人が何を言っていてもスルー
…ていうか気付かない。
抹茶チョコクッキーの話から
アセンション話へと
ぐぃーっと波動を上げてみました。
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