目眩(めまい)再燃でダメ押し

土曜日午後に再びめまいに見舞われ
そこからまる24時間ほど症状が収まるまで

ずーっと目を閉じていた。
目を開けば回るから。

おきていても目を閉じたままで過ごす。
そんな経験は初めてだったけど

そんなとき
高次元から声がした

「これは仕上げです」

あ、そうなのかと思って静かにしていると
気付きは起こった




「手放す」の仕上げ。





まぁ、仕上げというよりは「ダメ押し」に近い感じかなと思うけど。


それでわかったんだよ


「手放す」は切り離す事じゃないって。


どちらかというと「受け入れる」に近いんだね。


手放す=受け入れる


日本語的には真逆のように感じるけれど
これがドンピシャでね。


読んでいた本「“それ”は在る」に書いてあることとバッチリ符合した。

そして実践してみると
なるほどなるほど


めまいに見舞われて
全ての活動を止め、

電車の音と鳥の声と風の音だけが聞こえてくる中で
この肉体をただ横たえて何もせずに…時折起こる衝動に任せてメールの返事を書くとかくらいかな
(もちろん動画とかSNSとか全く見ない)

ほぼお茶だけ飲んで、次の薬を飲むのを待つような「今」が



あぁ、贅沢だな
と思えてくる。


ただ、息をしているだけの時間が
時折やってくる発作のような体の不調も、手放してしまえば(=受け入れてしまえば)

これ以外何も存在していないことに気付くので心は安らぐ。

身体は苦痛だけど心が安らぐ…?

うーん、うまく言えないな。


昨日はあっキーが超不機嫌で凄まじく悪態をついていた。

子供が厄介な状態だけど
悪態つかれながらも私の心は安らいでいた。



手放しているから(=受け入れている)だ。


すぐそばでスプラトゥーンで大騒ぎしている息子のストレスフルな姿を感じながら

外から聞こえてくる電車の音と何ら変わりない環境音にしか聞こえない。



これは凄いことだ、と自覚した。

手放すとはこういうことかと認識する。


不快だから忘れてしまおう、捨ててしまおうと「取り組む」のは手放していない姿。


ここで「ピンぼけ」が役に立つ。
ピンぼけにするだけで良い。


そしてそのままに置いておく。
判断、断定はいっさい無し。
嫌ったり苦しんだり、という感情は現れるかもしれないが

その現れた感情に気付いてあげられれば、
そしてそっとピンぼけにして見送ってあげられれば

状況はまるで変化しないのに
「手放す」境地に入っていける。
そっと受け入れて

どうでも良くなる。


静寂だったと気付く。




全てをピンぼけにしておく。
これが大事だね♪


そして、全てを手放す。
その瞬間感じたこと現れたこと
瞬間、瞬間の
一切合切を感じたと同時に手放していくこと


過去も未来も無い(なぜなら全て手放すので…ここでは消えていくイメージ)


「今、ここ」へ戻っていく。




さぁ、そろそろ薬の時間♪

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。