「特別」(修正済み)

スピリチュアルや自己啓発、一部の宗教で学び、

「幸せになる方向」を志すようになると


見方が変化していく。

自分自身が変化していけると思える。


…実はすでにこの時点で「迂回」なんだけど。



環境やもって生まれた性質などにより「生きづらい」毎日を生きている場合、

そのままでは心の平和をキープすることが難しくなるため


上記のような「迂回路」が必要になる。

私も、そうでした。思いっきり迂回しました。



なので、スピ系、自己啓発、宗教などは必要で存在している。

その力を借りて「本来の姿へ戻る」ための進路変更ができることが多い。


が、それは10年前くらいまでの話で

最近はもう迂回路は必要なくなってきている。



三浦大知さんが作詞作曲した

「I'm here」という曲はとてもいい。

シンプルな歌詞全てが「アセンション」のキーワードだと言っても過言じゃない。




今は、上記の迂回路を経由した人たちも

そこから離脱して本流に戻っていく段階に入っている。

が、

なかなかそこら辺は想像以上に難易度が高い。


難易度が高くなってしまう理由の一つ、それが「特別」という観念。


「選民思考」と言ってもいいかも。



自分たちは他の人とは違う。特別な存在。

他の人が知らないことを学んで知っている。

そしてそれによって幸せを得ている。

まだ幸せだと言えなくても、どうしたら幸せになれるかを知っている。

だから、自分の身近な人たちにもこのことを知らせて幸せになるお手伝いがしたい。



こんな感じかな。

私も、長い長い間そうだった。

かなり強く思っていた。



が、この思考がある限り

アセンションとは無関係になる。


・幸せになりたい

そもそもそう考えている時点で三次元の地球どっぷり思考。

「今の私は不幸です」と同じ意味でしょう。


「幸せになりたい」と思ってしまうって、あり得ない。

もともと、幸せなので。


あ、なんだ、すでに幸せマックスだったな、私

と気付くこと。

これ以上何も学ぶ必要はないし、故に頑張ることもいらない。

楽しめばよかったんだ!


ってなると「アセンション方向」です。



「私は不幸」から出発しているので

いろいろ学んで考え方や日常が変化すると

「不幸から脱出した」的な感覚になるでしょう。


すると、学んでいない人を見下ろす感じになってくる。

「あなたもこっちに来なさいよ」みたいな感覚かな。


これ、選民思考。

「私は特別」という考え。


周りで不平不満を言う人を見ながら葛藤する時

この葛藤を

「この人は知らないから仕方ない」という見方をして

自分の葛藤を取り下げるべく折り合いをつける。


私自身がそういう考えで「頑張っていた」時期が長かったから

「てへ」って感じではあるけど

でも、そうなっちゃうんだよね。

結構多くの人が体験すると思う。


先日のセッションも、ここが引っかかったんだよね。

それで言語化したら(クライアントさんにそのまま伝えたら)

すごく明確になった。

ここはとても重要なポイントだってことに気づかせてもらった。


選民になりたがっている人も、今も結構いると思う。

「周りから凄い人だと思われたい」ってやつね。


少しニュアンスが変わって
「自分が自分の凄さを実感したい」
てのもあるね。
言葉では他人との比較をしている感じはしないけど、

何を基準に「スゴい」と発想するのか、、

「これは誰か(過去の自分も含む)よりも優れている」と「自分が感じられる」、、ってことで結局同じ。言い回しの違い。

「優れている」というのが引っかかる。「違い」はあるでしょうね(自分のことしかわからないからよく知らないけど)。


アセンションにコミットしているならば

ここは全て断捨離していく必要があるよ。




アセンションしている人も

アセンションする前の過去の私も(厳密には脳内の記憶データ)

自己啓発で頑張っている人も

スピリチュアルで天使とチャネリングする人も

何も知らずに頑張って生きている人も

仕事のことで不平不満をぶちまけている人も

過去に対する恨みを握りしめて離さない人も


みんな、価値は同じ(あたりまえの話)。

自分の意思でそうして生きている。

それぞれが自分の選択で生きている。

みんながそれぞれに尊い。

「あの時の私」も尊い。


だから、その人の選んだ生き方を尊重する。

それが良いとか、悪いとか判断できないのが真実だ。




昨日のセッションでは

クライアントさんは

「アセンションすると、そうじゃない人とは次元が違うので会わなくなる」

という概念がある、と話していたので(過去、私もスピリチュアルリーダーからそう聞いていた)


セッションですからね、思い切り修正した。(笑)

今書いたように、


どんな人も同じだから

普通に一緒に生活する。


スピ系や自己啓発系の人で選民思考が強い場合はざらつきが起こる可能性があるけど

アセンションした人は、完全に埋もれて外見的には全く分からなくなると思うよ。

どんなに不平不満を言う人と一緒にいても

全然引っかからないし、その不平不満を言いたい心を尊重しているからね

そばにいてふんふん、って聞いていられる。

全然苦痛じゃない。

そして、その不平不満の波動に引っ張られることは無いから、同じように不平不満トークに花を咲かせる、、ということもしない。


ただ、聞いている。


自分が暇なら、ね♪

必要があって聞くことになっているわけだし。

きっと、何か気付きが隠れているよ♪


楽しいじゃん。










Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。