布とお花の少し深い話
最近、布というモノに対する捉え方が大きく変わってきました。
…ていうか、私は布のことを何も知らない、ということに気がつきました。
破れなくてほつれやすい紙
程度にしか思っておらず、そんな扱いだったと思う。
昨日もスーツパンツの裾上げ練習をしてまして…
結局この2ヶ月間で同じパンツを10回以上縫ってはほどき、縫ってはほどき、裁断して短くして縫ってはほどき
を繰り返していますけど、切り間違えない限り穴があくことはなく、縫えば元通り着られる服になります。
以前は縫い間違えたら捨てるしかないと感じてしまう…
だからもったいなくて、
基本的には失敗しないように縫いつつ、それでも出てしまう多少の縫いミスはそのままにしたり、上から縫い直して済ませる事が多かったです。
故にそこらへん、仕事は雑だったなぁって感じる。
今の仕事は「縫い目をほどく」という作業がめちゃくちゃ多くて(リフォームなので)
縫い目をほどくのを億劫がっていては全く仕事にならないんです。
ミシン縫いって、本当に頑丈でかっちりしてる。その感覚が私には凄くしっくりくるので
手縫いでは一切作品を作りません。
…と同時に絶対にほどきたくない。死ぬほど面倒くさいので。
私の脳は縫い目をほどくことを完全拒否していました。
それが、縫い目を解くのが仕事になり、それでお給料をもらうわけですから。(笑)
結構根気のいるリハビリです。
毎日のように何かしらの縫い目を目打ちやカッター、リッパーなどを使ってほどくこと2ヶ月。
最近ではかなり抵抗感が減り、スッスとほどくようになっています。
しかし、ほどきも技術。まだ下手くそで遅い。目打ちで糸だけを拾うのがこんなにも難しいものかと思い知らされています。
2、3回やってみて完璧に出来るようになる技術なんて一つもない。裁断すら上手にはできない訳ですから。
出来る、と思っていたけど
実は全然出来ない。わかってない。
私が居たのはあくまでも「趣味」の世界。もちろん、今は趣味レベルでも十分お金が稼げるし、やっていれば自ずと技術も上がりますしね。
気がついたら「職人」並みになることもあるでしょう。
「趣味」を満喫するのは大賛成。十分すぎるくらい楽しめる。
…お花もおんなじだ
以前の私は「趣味レベル」な世界の中で教室を展開していたなぁ、と思う。
なんていうかな、何も知らないまま先生をやって…それは、そういうフォーマットに則ってマニュアル通りにこなせば生徒さんを持つことが出来る、という協会システムがもたらしてくれた恩恵ですけど…
それをきっかけにして「趣味のお花」を満喫するも良し、職人の世界へと移行するも良し
私は…もちろん趣味レベルの中で出来うる最大限はやったと思います。やりきった感もある。(カリグラフィも同じ)
元々持っていた私の美的記憶(ある意味センスと言える)を具現化させる事で動かせる精一杯をやりきったというところでしょうか。
が、そこを更に発展させるためには
本気で花そのもの(生花)や、アレンジメントのデザインなどに向き合う必要がありまして…
実はそれは当時すでに感じてはいて…それで
お世話になっていた花暦さんでお花を習ったり技術士を教えてもらったり
チャレンジしたわけですが、、
どういうわけか、、これは何の理由もなく
意識が食い込んでいかない。
それこそ様々なお花に関する脳のリハビリに取り組む段階だったんですけどね。
それはもう、申し訳ないほど
周波数が合わなかった。
お花の「泥臭い本気の世界」に入る気持ちには最後までなれなかった
そういうことかぁ。
と、3年経って分析できるようになったみたいです。
また、私の教室にはお花の泥臭い世界を味わってきたプロの人たちが何人も生徒さんとして来てくださいまして
…もちろんそれはお花本体とは別の観点で私にアクセスしてきた話ですが(斬新な協会のディプロマをしがらみのない素人さんから面倒臭くなく取得する的な…別の理由もありましたがいずれにしてもお花とは関係ない)
そのあたりが当時の私には複雑でもあり、何か別の価値観にすり替えられて
私は勘違いしていたと思います。
いや、それぞれにわたしと出会う理由があったと思いますのでそれはそれで良かったんでしょう。真実はわかりませんけど。
長くなってしまいました。
何か、お花時代を懐古するモードみたいですね。
《結論》
お花は趣味として最大限やり切ったと自負していますが、本気の世界へ足を踏み入れる気持ちには全くなれなれませんでした。
ミシンはようやく本気の世界へダイブしました。
本気の世界に入ってみたら
そこでは「使い物にならない」技術レベルでした。
ので、これから頑張ります!
今日はランチ交代の為のスポット出勤です♪
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