至福(加筆済み)
聖戦…どんな闘いなのかというと
「気付く」という闘いです。
常に気付いている状態をキープする、という
めちゃめちゃ地味なチャレンジ。
やっています。
地味ですからね、めちゃくちゃ簡単なのに、身悶えるほど困難です。
やることは簡単なことだけど
ちゃんとやろうと気持ちを持ち上げることが超絶しんどい。
やり続けること
辞めないこと
これが、こんなに難しいかと、、改めて感じています。
ここを死守する人が
本当に少ないですね。
昨日までお勤め5連勤で
マスクをひたすら縫っていました。
マスクを縫っているときも
お客様対応しているときも
ランチでおにぎりを食べているときも
帰ってくるときも
帰ってからも
ご飯を作っているときも
ご飯を食べているときも
テレビを見ていても
…とにかく眠る瞬間まで
意識が起きている間、
こうしてブログを書きながらも
気付いている
という状態であること。
これは
子育てしながら、介護しながら、通勤列車にもまれながら、闘病しながらでも出来ます、、というより
そのような負荷がある時の方がやりやすい。
お寺で瞑想、、では
実はあまり変わることが出来ません。
これははじめのうち
「自分を見ている」状態ですが
完全に馴染んでくると
「自分」という感覚が薄れてきます。
自分が消えて、現象の中にただ
「在る」
それは何も引っかかりがない状態
良し悪しの判断や
常識という概念も外れて
喜怒哀楽を感じたときは
それをも判断しない。
湧いて出る感情や思考をそのまま感じて
そして手放していきます。
…厳密に言うと
自然に通り過ぎていく感じかな。
自分の身体や感情、思考も含めて
あらゆる、全ての事に
一切引っかからない状態
食いつかない状態
あるがままを
ただ眺めて感じている状態
これを「赦し」と言います。
そうして見ている「自分の世界」から「自分」が消えた時
そこが
「今、ここ」。
本当の私が「在る」。
私の聖戦は結構進んで
昨日あたりは
「至福」の中に居ることが
多かったです。
時刻ギリギリの電車に間に合った~!
時のホッとした安堵の感覚
美味しいスィーツと美味しい珈琲と一緒に食べる時の満足感
自分や子供が受験に合格したとわかったときの喜び
収入があって支払いに間に合ったときの安堵感
こういう、いわゆる「良いこと」が起こったときに感じる、
安心感や、開放感、ゆるむ感じ、内側から湧いてくる幸せな感覚
これ、至福ですね。
この感覚をいつでも感じているわけです。
ヤバい薬も、コーヒーもタバコも無しで。
何もしなくても「やだーシアワセー」って感覚に包まれています。
何か良いことがあっても無くても至福
ビックリするような事が起きたらビックリが通り過ぎた後に至福
眠るときも至福
寝ている間は知らない…ですが、夢の中はそうではなかった感じなので、まだ聖戦は続きます。
起きたら至福
そして、こうしてブログを書きながら至福。
それが当たり前になっていくんでしょう。
…だからかな。
昨日は珍しく布バッグとエプロンのリフォームのご依頼がありました。
私が大好きでアガる縫い物!
一生懸命やりました。
気付きながら。
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