「ホントに好き」とそうで無いもの(加筆済み)

少しでも億劫なことはやらない。
背中を押されるようにして持ち上がってきたことは、気が進むならやる。

ワクワクしたり、心の底から何かが溢れてくるような楽しみを感じるなら決行。

この組み合わせだけで生活を構成する。


初めのうちは純度が低いので、散漫だったり、検討違いだったり

タイミングを逸したり。

それでもやり続ける。
失敗もする。それを責めたりしないで
どんどん行く。

そこはアセンションのポイントだし、物理場的に言えば「宝地図」みたいなものなんだけど(好きなこととかいわゆる使命なんかがそこにある)

その宝地図をうやむやにしてしまうのは


思考。
ネガティブ感情。特に「焦り」
頭の中を整理しようとすること。



そうすると霞んで迷いが出るから、
そうなったらスルーすれば良い。
本当に必要なことなら必ず再来するから。

いつになるかは全くわからないけど。


過去に囚われない。
厳密には「記憶に囚われない」ですね、過去なんて存在しないから。

存在しているのは、「今の自分の中にある、過去という記憶」だけ。でしょ。

感じている「感じ」だけが大事。

模索している感じは、
純度がイマイチ低い。

むしろ
止まっている感じ

その方がいいね。


止まってたらなにも変わらないまま時間が過ぎちゃうって、焦ったりするでしょう。

その、時間っていう感じが
3次元そのものど真ん中。

アセンションが進むと、時間が過ぎることに対する焦りが外れて(ええっ、もうこんな時間?!みたいな事を感じない)

ゆったりと休むことが出来るようになり、
曜日感覚とかのカレンダー感覚が希薄になってくる。

止まっている方がいい。



そういう風になってきて、
改めて気が付くのは

あらゆる部分で「催眠にかかっている」
洗脳されてると言ってもいい。

それをいかに解くか
たくさん、どんどん「ハッと我に帰って」
本当の自分の感覚を戻していく

それが、アセンション。

ヒプノセラピーをやるようになって、それがありありとわかります。

催眠の力=無意識の力=半端ない。

「当たり前」のほとんどが催眠
「当たり前」と感じる時点で洗脳されてると思ってもいいくらい。

「当たり前」っていう価値観って何?


「当たり前」という観念って「周囲の人間関係」とか「習慣(過去)」とか「文化」とか

今ここの自分じゃないものの巣窟じゃん。

「当たり前」や「普通」という概念は3次元を固定する為にインストールされたコードの一種らしい。故にアセンションにブレーキをかける。

今、地球の波動が上がってるでしょう。
その現れだよね、「普通」って言われると残念な気分になっちゃうじゃん。

逆を言えば
昔からフツーに生きられないとか、当たり前のことが出来ない人って

波動が高かった。
だけど、3次元の「フツー」という激しい価値観にさらされて
頑張っちゃったり、フツーを装うために自分を潰したりして波動が下がりまくったでしょう。

違う意味で難しくなってる。
私のところにセッションにこられる方の半数以上がそういう人たち。

ある意味難しいところもあるけど、外れるのも早い。
だって、「心地よく生きる」そうすれば戻るから笑。



…ていうか、フツーとか、フツーじゃないとかっていう価値判断そのものから離脱するんだけど。

フツーじゃないって感じてる時点で、他人との比較が入るからね。
「あたしフツーじゃないから」って言ってる時点で他人と比較してるってこと。

本気でそうなってる人は、自分がフツーだとかフツーじゃないとか考えないから。

それがナチュラル。その人にとって。


話がそれた。

無自覚についつい選んでしまうもの、
それ、立ち止まって感じてみる。

「今、必要?それ、好き?」って。


それで、自分が何を感じているか、を感じるわけ。

それやってるだけで無駄な買い物は減っていくよ。笑

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。