何を変えていくかって話

昨日は玄米粥で、今日は玄米ご飯

たまに食べる玄米はなんていうか、、、


身体が明らかに違った反応をするのが面白い。

玄米粥が、、やっぱり相当パワフルだと思う。


玄米の威力をよく知っているうちのだんなは

白米か玄米かどっち食べる?と聞くと

「玄米」って言う。


玄米粥は、スロークッカーで炊くと

ホントに簡単で、ちょ~美味しいから

多めに炊いて、ストックしようかな。




無いものを求めて探すうちは

すでに在るものの価値に気付きにくい。


昨日のセッションは要するにそういうことでね


何も問題は無い

むしろあらゆることがうまくいっている

と自覚があるのに


何もする気が起きない

うつだと言う。


…私も以前はそうだったけど

よくあるパターンで


それは、結構アッサリ転換されていくと思う。



考えるのをやめれば

全てが好転する。


だけど、考えをやめる方法がわからないし

なんか難しい。

そんなことできるんかなと思えてくる。




できるけどね。誰でも。100%。




生活や、人生、健康、仕事とかお金とか

人間関係などを含む環境


それらいわゆる「現実」を変えることを

目指す人が多いと思うんだけど


現実的に現実を変えることに限界を感じた人は

スピ的に現実を変える方向を模索し始める


人生に苦労の多い人がスピ方向へ行きやすいのは

そういうことが理由のひとつかもね。


でもねぇ、そういうスピリチュアルの時代は

とっくに終わっています。


「苦労を解消するために

現実を変えようとスピリチュアルに真剣に取り組む」


という姿勢自体が、、変化しない原因となる。


例えば

病気を治すためにスピリチュアルに取り組む

ってことは

病気にしっかり取り組んでお付き合いすることでもある。


アセンションはスピリチュアルの延長線上にあるように

感じがちですが、

上のような観点で捉えるならば


つまり、現実を変えていくためにアセンションする


と捉えるならば

その瞬間にアセンションとは無関係になっちゃう。


現実を変えることで苦労を解消したい人はアセンションしないけど

自由に楽しく、何の苦労も感じずに生きるひとがアセンションする。


病気ということで言えば


病気を治すことで幸せになろうとする人はアセンションしないけど

病気であっても自由に楽しく生きる人はアセンションする。


お金で言えば


お金がしっかり入ってくることで心を平和にしたい人はアセンションしなくて

お金が全然無くて(なんなら借金してて)も心が平和な人はアセンションする。



いつも気持ちが楽だから楽が続いているっていう現実があるだけ。

それが、アセンションしていく状態。

何が起こっても気持ちが下がるってことが無くなるんだもの、楽だよね~


現実が変化することでシアワセになるんじゃないの

まず、どんな状況の中にいても心がシアワセであるってこと。

生きてるだけで(そうでなくても)「在る」ということそれ自体に気がつくことが出来れば


日々の全て、些細な日常や見える世界が全部、たからもの。

今が十分ってわかる。


そんなことできるんかって

出来るんだこれが。誰でも。本気になれば。


気付くまでにいろいろ剥がすものや掃除するべきものが多すぎてね

多少てこずりますけど




…てか、ホントにきわどい認識の綱渡りが、、

二極化といわれる、この辺の意識のシフトが



わかりそうで

わかりづらいのですね。


これは、本を出版しているようなスピリチュアリストでも

「・・・」てこともある、、、かも。(私の主観ですけど)


それでアセンションを選んでいるつもりで

そうじゃないルートを進む人も出てきますけど


それも自由なのですよね。






Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。