人生暇つぶし
昨日、みうらじゅんさんが「最後の授業」という内容で
どこかの大学で講義していた様子がテレビで流れてきた
「人生暇つぶし」
という言葉が、妙に腑に落ちてスッキリきた。
そう。
この人生は暇つぶしだ。
今思えば、、
子育てって、暇つぶしにはもってこいのイベントじゃないか。
…合う合わないとか、好き嫌いとかはあると思うけどね。
ま、最低限、自分で産むと選択したわけだから
その暇つぶしは、、結果的にどうあれ
産んだ女性にとってはやってみる必要があった、、というかね
いやいや、やりたかったわけだ。
ところが産んでみたら
なかなか長期間過ぎてしんどい。(私は結構しんどかった)
飽きたからやーめた、、とはなかなかならないことが多い
(そういう人もいるかもしれないけど)
そう思うと、
やっぱり、子育てに限らず
人生のいろんな出来事はドラマチックに感じるね。
それを体験してみて、どうだった?
どうだったと思う?
そこが
「なかなかの暇つぶしだった」と思えるか
「到底そんな風には思えない」と引っぱられるか
その辺で意識の方向性に変化が出るナァと思うよ。
「暇つぶし」って言っちゃうと
生きる意味とか、人生の価値とか自分の価値
みたいなものが無いような気がするかな。
以前の私はそう思ったと思う。
例えば「自分の価値」って考えるとするでしょ
うーん、自分の使命だとか、「居場所」なんてのもそうだけど
それって「他人」を見ているからこそ出てくる
「自分」という意識でしょう。
人の目を気にしてるってことだよ。
本当に自分の感じることだけに集中しているならば
もう「自分」っていう意識が消えていくよ。
自分しか居ないんだから。
自分の価値がどうとか
どうしたら自分らしくなれるか、とか
そういう意識さえ希薄になっていくのがいいね。
「自分」を確立する必要が無いってことに気がつく。
「居場所」っていうのもありえない概念だと気がつく。
居場所?何それ。
いるけど、ここに。
て感じでね、シンプル。
私たちは成果や結果、そこから出てくる価値を欲しがるけど
それがね、要らないんだ。
わかるけど。私も相当欲しがってたからね。
何処にいても、誰と居ても
なんだか自分の居場所がそこには無いような気がして
居心地の良い環境っていうのが本当に少なかった。
自分の居場所が欲しくて、
自分の価値が高まればみんなが居場所を作ってくれるかなって考えるし
なんか凄いと思われたかった
なのに
「自分の中身が何も無くて、そのままでは承認されない」って思ってたから。。。
超絶あがいてた。
それ、すさまじい勘違いだったと気がついて
今ではホントに心が晴れて、安堵してます。
でもね、これがさ~あ~
なかなか気付かない。
気付くのに優秀とか疎いとか
そういうの、一切関係ない
優劣は何も無い。
ホントのホントのことがわかると
自分なんてどこにも無いし
それを眺めながらほ~ぉ~、って感心してる感じ
だもの、こうなってみると確かに
人生の目的は「暇つぶし」なのよね~
面白いね~ホントにそうだよね~
みうらじゅんさんのお話のかなりの部分が
アセンションしていくことに繋がってたね。
だもの、王道スピリチュアルじゃない人が
ちゃんと目醒めている。
スピリチュアルをやる人(=私)は
ま、面倒くさい地球の仕組みがガッツリとインストールされてて(=波動下げてて)
目醒めのハードルが高かった人、、の中で
目醒めると決めた人かな。
ま、ようやく
ナチュラルに目醒めていく人に追いついてきた感じで
あぁ、またこれから更に進めますよ、ってとこですな。
そんなわけで、
最近の私の暇つぶしは楽しく、そしてキラキラと輝いています。
たくさん寝て、起きて
なんか好きに生きてやりたいことや思いついたことをやって
夜遅くまで起きてこんなことしたりね笑
その中で仕事になってお金もらったりして
生きている、生活している
毎日の景色や空や太陽や、、
なんでもない全てのことが
ぜーんぶ、キラキラしてくる感じ。
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