春という感じ

プリザーブドフラワーには

プリザーブドフラワーの良さがあるなぁって

改めて感じた。


生花や造花とは違う、何かがあるなぁって。

これはこれで、やはりアリでしょう

プリザーブドフラワーでしか出せない「空気感」というものがあって

私が数年前いくつも出していたフラワーアレンジは

プリザーブドフラワーだからこそ、、の作品だったと思う。


今回、いいお仕事をさせてもらったナァって

思いました。感謝。



生きた花、畑で無造作に咲き誇る花

この冬、金井さんちに毎週出かけながら

大根、白菜、ニンジン、かぶ、、、を毎週眺めつつ


そろそろ白菜が終わり、大根も最終、ニンジンも終わりに近づき

それで気がつけば菜の花

来週からは「かき菜」が入るようになると思うけど


空気は暖かく

空は明るく

「春という感じ」につつまれて。




昨日、ケンスケが帰ってきた。

どわーっ!というハイテンションな「感じ」に

かなり押されて、、波動の折り合いをつけるのが難しかったくらい


まさにイケイケの人生の春だな、という雰囲気。

大量の絵やイラスト、造形、音楽、ファッション情報、落語だとかDJだとか


一人の人間からこのように

怒涛の如くあふれ出るクリエイティブの強い波動


ひとしきりアウトプットすると落ち着いて

夕飯を食べるころには

頭痛になりかかった(笑)私の意識も

ようやく、この激しい若者の意識と折り合いがついて


元の感じに着地。


あとは寝るまで終始穏やかな「家族」の時間だった。


そう。そうやって

自分に湧いてくるものを

ストレートにアウトプットしてアウトプットして


出てきたものと自分が向き合う「感じ」

アウトプットしたものを見た目の前の他人(別宇宙)の反応を見ての「感じ」


そんなのをあれこれ知覚しながら

何をしていると思う?




自分宇宙の存在を確認しているんだよ。


だから、他人とのコミュニケーションてすごいね

激しいし強いけど

かなり手っ取り早く効率的に「自分の確認」の役に立つ

他人と折り合いながら


情報を入手したり、自分というものに関して検討したり、ね。


そうやって、わかりやすく言えば「自分スタイル」を

見つけ出していく。


自分らしさ、、というでしょう。


あれ、なんだと思う?




本来必要ない言葉なんだよね。

宇宙意識になると、それは存在し得ないことば


自分らしさっていうのは

他人との区別の言葉

他の人と違う、自分という存在を確認できました、っていう

そういう意味合いの言葉でしょう。


アセンションが進んで

宇宙意識てことになると


感じている世界が全部自分宇宙だった

って気がつくんだけど


…だもの、「他人」という意識はありえないわけ。


見ているものは全部自分、、というか

自分がそう感じている世界でしょう。


他人にとって自分がどうのこうの

みたいな「他人観」、それが実は存在してない、と気付くかどうか


全部自分だ、と気付くかどうか

(言葉ではここが限界。これ以上は言葉にすると難解になるだけ)




だーもの、本当は「自分らしさ」ってありえないの。

だけど、大小さまざまな勘違いでぐっちゃぐちゃになってるでしょう


それを整理するひとつのルートみたいなものかな。


自分らしさを見つける、って。


だから、いろいろな物を見たり聞いたり(インプット)

しゃべったり歌ったり語ったり描いたりスポーツしたり、、って

アウトプットしたりしながら


その時に感じる「感じ」をちゃんと確認して

自分宇宙の輪郭みたいなものを感じたいんだよね。


意識が波動をあげていく段階で

自然に発生する想い


「私らしく生きたい」



多くの人が、きっとそこらへんにいるのかな、って

勝手に推測してる感じかね~。


Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。