お金=価値か?

受講料が安いのは

自己価値が低いから


と、スピ業界ではよく言われてまして

結構な価格を設定することでその辺をクリアしようと

したりするわけですが。


この数行の文章には

実は様々なテーマが絡んでいてパッパッと

シンプルに私の見解を表現することは難しい。


お金の話だけ言えば


そもそも「お金がある=シアワセ」か?という問題。


それは前提として

お金、というものが幸福感や存在感のものさしになっている

ということがあって


(すでに表現が困難な領域)


ようするに、そういう思考自体が3次元思考だってこと。


自分以外の何かによって自分の価値や気分や幸せが決まる、

言ってみれば振り回されるということ。


お金に関しては、あっても無くても何も問題は無い

というところまで意識を上げていく必要があって


その上での価格設定は

単純に原価から算定した実務的利益に「気分」をのせた金額だし


原価の無いものならば(セッションとか)

それはサービスを提供する人の気分、衝動で良いんじゃないのかと

私は、捉えている。


安いから、その人の価値が低いってのはちょっとズレがあって


「本当は5千円もらいたいのに、3千円としか言えない」


っていうところは本人の意識の波動域が関係する。

何処を見ているか、ということ。


5千円もらいたい場合は「5千円です」と言うだけなのに

そこを3千円としか言えないのは相手に対しての気遣い?遠慮?みたいなものがあるからでしょう。


そこを改善するだけのことで。


「相場は7千円だけど、私は5千円で十分なんだよね」


という場合には「5千円」といえばよい。

そこを7千円とするならば、それもまた三次元思考である。

相場、という周囲を見て自分の感覚をずらしていくからね。


そこがごちゃごちゃになると

本当に、やりにくい。


私もそこを通過して

今のセッション料設定が一番しっくり来るし

もらうべきものはちゃんともらうしね


そもそも、お金の動き方に対する認識を

根本から変えていく必要がある、ってほど


お金はアセンションのテーマになりやすい。

故に、きちんと取り組むのは悪くない。


ま、自由ですけど。趣味みたいなものかな。

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。