「好き」から来るこだわりの場合は

たーくさんできた~

今度はこんがりクッキー

もちろん、パソコンの上だからね、これも粘土。


楽しいな、楽しいな~


やり始めると没頭して

いつまでもやり続ける


「好き」エネルギーはものすごいパワーを出す

このエネルギーに乗っかっている時は

努力とか頑張りと言っても苦しくないわけ。

楽々と頑張れる感じ。


そして、この「好き」も「こだわり」を作り出すでしょう。

んもー、ぜったいこうじゃなきゃーって。


昨日の執着由来のこだわりとは別物だけど

やっかいなのは


執着なのに「好きだから」と自分をうっかりごまかすことが

んまーやたら多いことかね。自分でもわからないことが多い。

わからないで言っていることに、気がつかないほど、ハイレベル。


見分け方は言っている本人の心が軽やかか、ひっかかって重たいか。

周囲で聞いている人の感覚は、全く無関係。それは聞いている人のものだから。


「それ違う気がするー」と、誰かに言われても

それは、その誰かが違うと感じているだけであって、

自分とは全く関係が無いということを踏まえたうえで


自分がほんとのところどう感じているか、ということだけが問題。




「好き」由来の「こだわり」は、もちろん徹底的に大事にするものですが

それを他人に押し付けるのは違うなぁ、と

過去の自分の反省を込めて、、今感じてしまう。


自分の「好き」はしっかり守る。

だけど、他人がどう感じるか、

他人の「好き」領域を侵略してはいけない。


ここの折り合いがうまくいかないと

「戦争」が起こっちゃう。


この人変な人、、って思う時

変な人はそれがお気に入りかもしれない。


その、変な人の「お気に入り感覚」を、侵略しないで尊重する。


もし、その人の「お気に入り」が自分にとって違和感になる場合には



…どうしたら良いと思う?


我慢したりね、ありがちだよね。

いくつか扱い方があると思う。


ひとつは、自分の中の「違和感」をヒーリングしてしまうこと

我慢するんじゃなくて、何も感じないこと。「ん?なんのこと?」ってなる。

あるいは、、自分の「こだわり」部分を少しやわらかくする感じかな。

これはパラレルシフトすることになるのでアセンションしていれば

違和感を感じることそれ自体が自分の宇宙の中の話だから扱いはとても簡単。


もうひとつは、その他人と「折り合う」。3次元のやり方だね。

言葉柔らかく伝えるのもありだと思う。

話し合うとかね。「優しさ」を用いるんだよ。

時には「合わせる」のもひとつの手段となる。

ただし、「自分が合わせている」とちゃんと自覚していることが必須だけど。


無自覚で合わせることに慣れてしまうのが

かつての地球的生き方。


あわせるのが普通、、みたいなね。

今もそういう生き方を選択している人は多いかも。


昨日、岡部駅で

リクルートスーツを着た大学生が何人もいた。

みんな真っ黒なんだね。凄いなぁ。


それが彼らが選んだスタイルで、

そういう時代?


ちょっと驚いた。

驚いただけだけど笑

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。