静かな世界
高崎は地方都市、、という感じ
暮らしやすい場所です。
私の自宅と仕事場はどちらも高崎駅から徒歩5分くらいのところにあって
…群馬の中では多分、、一番にぎわっている場所だと思う。
…ていうか、駅のそばで線路脇なので
はっきり言ってものすごい騒音。
いくらプチ鉄子でも、さすがに夜は窓を開けて寝れない。
(日中はいくらうるさくても大丈夫だけどね)
で、それは物理場の「騒音」の話し。
問題は頭の中の「騒音」で…
これで私の50年間は結構ハードだった。
アセンション路線に入って
どんどん静かになっていったけど
静かになったな~と思いつつ
実は全然静かじゃないことに気付かない。
そんな状況が結構長かった。
それが
ここ数日の間、
大きな山場を迎えていた。
今朝、目を覚ますと
「静かな世界」だった。
静かな世界とは、こういうことだったんだ
とわかった。
今、こうしてブログを書いていて
夫がテレビでゴルフを見ているし
窓越しに電車の騒音はもれ聞こえてくる。
音はなっていて結構うるさいんだけど
頭の中、、、はこうしてブログを書いているわけだから
あれこれ思考もしてる
そこじゃなくて、もうひとつ次元の高い意識領域
ここが静寂そのもの
ここ数日は結構格闘してた。
思考よりももうちょっとだけ高次元のその領域の一部が
3次元に対する食いつきがキョーレツで
それを捉えられる場所まで
アセンションするのは結構根気が要った。
人には得手不得手があって
得意なところは何の苦労も無く出来てしまうけど
得意じゃないところはなかなか苦戦するわけですよ、ハイ。
いや、ここは、、
基本的に苦戦するところじゃない?
ある時、、それはちょっと前からだけど
「ぼやく人」
が身の回りにやたら多いことに気がついた。
…ということはすなわち、
自分が「ぼやく人」でもあるわけで
いやいや、私、最近はすっかり不平不満や他人の批判はなくなりましたよ
と感じていたからなんだか釈然としない気分だった
そのあたりから
日替わりで自覚したよね、葛藤を(笑)
なんだ、めちゃくちゃ葛藤してるじゃん。
しかも、葛藤をやめようとしてもかなりしつこいわけ
自分の意識の食いつきが。凄かった。
日替わりメニューをこなしながら
「出来ているつもりで全然出来てない私」に
ハイ、気付かされました(笑)
「わかっちゃいるけどやめられない」
てあるでしょ、アセンションするということは
それをやめることになる。
簡単じゃないように感じるよね。3次元意識でだと。
ところがやめてみると
なぜこんなことに必死に食いついていたか不思議な気持ちになるほど
あっさり簡単だったと気付く。
わかっちゃいるけどやめられない
は、本当の意味でわかっちゃいないってこと。
わかったなら、わかったのでやめるだけだものね。
ゆえに「わかる」ということが大事。
ここが、、、本気で苦戦する。
「わかった気」になってスルーしちゃうことがほとんどだものね。
自分のことをわかっているようで
何もわかっていない、、それが3次元意識ともいえる。
だから、まずは
「わからない」ことを受け入れるところから始まるんです。
わかってないことに気付かない、それが3次元、ほぼ眠っているのと同じ。
そういう意識で生きてるんだから
本当の自分を眠らせた状態で
日常を過ごして人生の時間を使っている。
そういう生き方に区切りをつけ、目醒めて
本当の自分として生きようというのがアセンション。
本当の自分が目醒めていれば
線路脇に住んでいても、それこそ渋谷のスクランブル交差点にいても
「静かな世界」でしかないのです。
あ、もちろん本当の自分を眠らせて
「世間」「誰か」に合わせたり闘ったりして生きるのも
無数に存在する「生き方」のひとつ。
本人の自由選択です。良し悪しは一切ありません。
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