感覚レシピ

たらの芽より更に食べたい山菜

「こしあぶら」

いただいたので、昨日の夜は天ぷらにした。


こしあぶらの他にタケノコの柔らかい部分、

冷蔵庫にあったちくわ、それから納豆、、も天ぷらにしようと思って


「納豆天ぷら」のレシピをクックパッドで

いくつか見ていたら

面白いレシピがあった。




ボウルに納豆を入れる

細切りにしたちくわも入れる

天ぷら粉をこれくらいかなぁと思う量入れる



…!!!



「これくらいかなぁと思う量」って!


これがつぼにはまって大ウケ。

このレシピを採用することにした。



さらにレシピは続く



スプーンで軽くかき混ぜ水を少し入れて混ぜ

かき揚げに丁度良い固さになるまで調整していく。




だから、「かき揚げに丁度良い固さになるまで」って!



うちのあっきーが見たら

一発で混乱するレシピ


ところが、長年主婦をやっていると

これでちゃんとうまくいっちゃうのがすごい。


家庭料理のプロだね。


そういう意味では

結構難易度の高いレシピともいえる。


お花の先生をしていた頃

「いいかナァ、と思うとこらへんにお花をサクッと挿す」

みたいなことを伝えると


それでやっちゃう生徒さんと


「どのあたりに、何センチくらい挿せば良いですか?」

と知りたい生徒さんがいた


私は、それでもあまり具体的な指示をしないようにしていた。

お花のアレンジは

もちろん、王道と言える形があって

それにしたがって花を入れると「美しい」とされているけれど


実は「美しい」の基準は十人十色

人の数だけ宇宙があるわけで、

その人の宇宙スタイルでアレンジを完成させるというのが

私のお花のレッスンだった(当時そんな意識は無かったけど)


周囲との調和とか、他人目線をより強く意識して「基準」を定めていると

「教えて欲しい」という感じになる。


だけど、実際はその人の中にその人の基準があるので

その基準に従ってお花のアレンジを作っていくことの方が大事だと

最初から思っていた。


もちろん、100%お任せで(花材選びも)レッスンすることは無い。

大まかなデザインと材料はこちらでチョイスして

花の色を選ぶことが出来たり、

花やそれ以外の材料の配置、、アレンジはなるべく本人に任せた。

故に見本を置かない、というのが私の流儀だった。


フラワーアレンジのスタイルを決定付ける最大の要素は

お花選びだな、と今も思っているが

そういう意味では教室も7割は私の世界だった。

だけど、残りの3割を生徒さんに完全に任せることで


生徒さんはフラワーアレンジに向き合いながら

「小さな自分宇宙」をそこに形成する。


「自分宇宙」を自覚すること

それ自体がヒーリングになる。


故に、先生としてすべきことは

デザインに関しては手を出さない。

(先生の)自分色に寄せない。

困ったときは助ける

悩むときは本人の同意を確認しながら代わりに作ってあげる。


必ず「本人の同意」が必要。

こんな感じ、どう?とか

こうするのと、こうするのだと、どっちが良い感じ?とか。



そうやって仕上がってくる

その人のお花の世界はどれも美しかったし

生徒さんが自分の世界(宇宙)を仕上げた時、

その喜びは格別のものがあった


その姿を見るのが凄く楽しかった。


そこに私は自分を見ていたのだと思う。

だから、やめざるを得なかったんだね。


そうやって自分の外側に展開する「私」は沢山見たけど

(それも結局は自分宇宙でしかないんだけど)

自分の内側に存在する「私」をちゃんと見ていなかった。


お花の教室を辞めて2年経ったけど

自分の内側に存在する「私」はまだまだ奥が深くて

今でもいろいろ発見する。


それで決めたんだよね

メインボーカルはアミーゴさんに譲りますって。

私はしゃべりとコーラスに徹して

時々ボーカルやろうって。


お花の先生をやめると決めたときは自然だったけど

これは、、ちょっとグッと来たね。

本当に、本当に頑張ったから。

執着が凄かったから。


「ずれたエゴ」が悲鳴をあげながら腹をくくってた笑

でも

もうちゃんと歌わなくていいんだ


って不思議な安堵感を感じる私が


ここに居る。


(いや、歌うけどね)






Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。