許し続ける作業が要る
意識の掃除をする必要が無いような
軽快で波動の高い状態と
何かに(これまで習慣的に関わってきたこと)
フォーカスすることでこれまでの波動域に無自覚的に「波動調整」してしまう状態
この間を行ったり来たり
例えば今は半々だとしたら
それが微細な気付きと意識的努力で
より高い方へシフトしていく
この揺れ動く段階をどう受け止め
どう超えていくのか
ここのところひっきりなしに降りてくる情報
それを、、あえてわかりやすい日本語に翻訳すると
「許す」とか「赦す(ゆるす)」
になる。自分を許す、、こと。
誰かを許す、、という次元は今の時期ではもうありえない。
自分を許す、ひたすら許し続けること
波動が下がった自分を「ダメでしょ」と
それが自分に対するダメ出しだと
気付くことがないくらい自然にスムースに自分をとがめている
それは「ダメでしょ」と咎めるのではなくて
「あぁそうなのね」と気付いて見送る(あるいは統合する)話。
これは、徹底的にやる。
その次の波動域にシフトしちゃうと
それすら必要なくなるけど
自分をとがめているうちは
次の波動域へのシフトはなかなか起こりづらい
いや、起こらないわけではない。
7割8割になったところで次へのシフトが始まる。
ちゃんとコミットしていれば
揺れながらも動いていける。
どんなに言葉を駆使しても
ここらへんのシフトの感覚を
的確に表現することは難しい。
なぜならとても微細なニュアンスで
ひとつの言葉が真逆の重複する意味を持つようになるから。
例えば「あきらめる」という言葉づかい
3次元思考を手放す際に便利に用いるけれど
これが、今日の「許す」話しになってくると
アセンションをあきらめる、、という捉え方も起こってくる。
もう面倒くさいから自分を許すとか
そういうのもあきらめる。
あきらめる自分を許す
みたいなね。これはアセンションすることに対する
コミットを解除することになるが
かといってそれがどうということもなく
あくまでもそこに留まろうと決めた本人の意図にすぎない。
自由選択だ。
…と書きつつ
三次元思考へと波動調整している自分に気付く。
それほどに
キョーレツに三次元に引っ張られていることを
まざまざと実感する。
あぁ、
トマトのお仕事も終了して
「夏休み」みたいな感じ
やりたいことを着々とこなしつつ
自分の内側へと自分をアラインしつつ
静かな時間にとどまろう。
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