リバウンドは蜜の味
今朝、長男息子が愛知へ戻っていった。
先週末高崎に来た時には昼夜逆転でバランスを崩していたが
回復したと言っていた。
今、我が家はきわめて平和で
穏やかな空気が流れている(と私は感じている)ので
癒されたんでしょうね。
私の宇宙としては
先週からの流れは「リバウンド」体験となった
昨日の家族のやり取りの中で
無意識的に三次元にリバウンドしていることに気付かされた。
わぁ、すごいと思った。
やはり、自分にとってしっくり来ない出来事が起こるというのは
波動調整なんだなぁと思う。
必要で起こる。
「家族という幻想」
という言葉を聞いてひっかかりが無ければ
かなりアセンションが進んでいるといえると思う。
ここを越えて行くのは相当なハードルの高さだと認識する。
家族という人間的結びつきが「幻想」だと認識した場合
どうなるかというと
穏やかな平和がやってくる。
それは、私一人が認識しただけでそうなる。
誰もが「素敵な家族ですね」といいたくなるような
フラットで軽やかで穏やかに楽しい世界だ。
これはなってみないとわからないけど
そこから三次元にリバウンドするっていうのは
「子どもの状態(夫も)が自分の理想に合致しているかどうか」
を気にする感じかな。
例えば
子どもが元気でいるのを見て安心する
夫が「ありがとう」と言ってくれたので嬉しい
みたいな。
要するに
自分が現実世界に対して「自分の望みや理想」を要求している
その要求にその人たちがふさわしく応えてくれているかどうかで
気分が変わる
そういう話しだ。
そんなのあたりまえでしょ、、と思える場合は
三次元地球人の意識で、それはそれでアリだし、
そこを選択している場合は素敵でしょう。
三次元から抜けるとなると
そこは観点が変わってくる。
夫や子どもがどんな姿を見せていたとしても
たとえ自分の望みどおりになっていなくても(例えば反抗してくるとか)
それが「私」の気分には何も影響しない。
それもその人たちの自由意志、自由表現であって
尊重すべき愛すべき姿なのだ。
だから、反抗している子どもの反抗をとめることはしない。
それでよい。
それだからといってイラッとくることも無い。
見ている。聞いている。そして感じている。
それだけで、いたって平和なのだ。
よちよち歩きの子どもが悪さをしているのを見て
「これも成長だな」なんて微笑ましく眺める感じかな。
夫がベロベロに酔っ払っているのを見ながら
「これも成長だな」って微笑ましく眺めるってこと。
ところが、ついついリバウンドしちゃうんだ。
自分の望みとかマインド領域で見ている映像(=イメージ)に
現実が伴ってくるかどうかを気にしたり
いい感じになってるのを見て「安心する」
全然違うことになってるのを見て「ムッとする」
今回の私のリバウンドは「安心する」だったね。
そのズレを修正するために「え~!?」ってことが、昨日起こった。
この間は別のことで(家族とは関係ないところ)リバウンドがあった。
「現実によって満たされる」ことの喜び
それはほーんとに甘美な満たされ感があるよね。
これを振り切って
本質的で恒久的な
…つまり、現実がどうであれ常に
満たされていて、喜びが溢れている状態へと
移行しようとしている。
見ている様々な現実が、みんな(他宇宙)が体験している美しいドラマ
「わぁ~素敵~それもいいね」って
感じて何かしらの刺激をもらったりしてね。
リバウンドはホントに蜜の味。
やめてたお酒を久しぶりにうっかり飲んだら
ヤバイこれマジ旨い、、みたいなものだね笑
リバウンドだと認識するのに勇気が要ったりして!!
リバウンドだと気付いたことが
私の進化の証しだわ、と静かに認識した。
今日は新しいおもちゃが届くんだ~
結局音楽だけど笑
楽しみ^^
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