脱線
三次元の頑なな波動に触れたとき
そこにたいしてどう反応するかというのは
なかなかの難所である。
それは結局、私自身が頑なであることの証拠。
私がそうでなければ接した情報がどんなことであっても
頑なさを感じることはないのだから。
結局、自分なんだってことだね。
脱線、というか脱輪気分だ。
脱輪の激しい衝撃で
久しぶりに意識が傷んだ。
もう長いこと平和の中にいたので
驚くほどの激しさで心底疲れてしまった。
以前はこんなことフツーだったのにね。
意識はわりと早く波動を戻すことが出来るが
肉体感を伴う衝撃の余韻がなかなかぬけない。
ここはまだまだ苦手。まだまだだ、ってことだね。
がっつり剥がされたね笑
一生懸命だからこそ
食いついていく
それもまた地球の醍醐味だ。
最近、ふんわりと感じていた感覚
「肉体を持って(を感じて)生きる凄さ」
これ、どうしてもやってみたい
どんな気分なんだろう
体験してみたい衝動に突き動かされて
地球にやってきた、、みたいな。
そんな感覚を垣間見て
目の前の現実に向き合うと
色々な見え方が錯綜する。
それに伴って気分も乱高下する。
いやぁ、驚いた。
いろいろ考えさせられたり確認させられるね。
ここまでして「本気」を試されるわけだ。
冗談を織り込みながら
フワフワと波動調整して
折り合い方を見つけていく。
三次元に「まぁいいじゃん」と引っ張られるのはもうやめた。
こんな時、波動を下げないとは
どういうスタンスをとることでしょうか?
と、宇宙から質問を投げかけられている。
答えはすぐにやってくる。
「リアリティ」が何処にあるのかをよーくチェックすることだ。
三次元というのは
目の前の現実とか、相手の言葉とか
テレビのニュースとか
そういうものを見てそのものにリアリティを感じた上で
「これは○○だ。故にこういう感じがする」
と、意味や価値をつけて自分の気分が動かされていくこと。
そこから抜けるとは
そういう景色を見て、音声を感じているのは「私」
という意識にリアリティを持つこと。
そして、感じた「頑なさ」が自分の中にあると気付くこと。
真剣なこと、一生懸命なことになると
一気にここらへんがあいまいになる。
見えない。
これね、注意していこう。
ま、とりあえず
よ~くセルフヒーリングしよう。
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