誰かの記憶の中にいる私
小学校、中学校と仲良しだった友達に
CDを送ったところ
封書で返事が来た。
そこには、彼女の記憶の中に存在する
子どもの頃の私の様子があれこれ書き綴ってあった。
それによれば
現在の私と何も変わっていない。
結局、この私のままだった
…もちろん、意識の中は様変わりしているが
性質、、というか
行動、というか
やってること、?
素材としての私、、てとこかな
それは何も変化していない。
当時の私は
何かに必死だった
親に認めてもらうため
先生に認めてもらうため
友達に負けないように
…と私は記憶している
そして、今、そういうネガティブな
いわゆる三次元的エゴから解放されて
何も思わなくなったわけだが
それで
私は自由に、やりたいことを
やりたいように日々やっているだけ、、
なのに、
それが
動機はかなり複雑ネガティブだったけど
中学生の時にやってることと同じだという。
なんだ、
結局このままで
最初からこうだった
あの、激しく悩みぬいた
キツイ日々は、、
いらなかった、、、
とは言わないが
ま、地球を満喫したな、かなり。
と思った。
今の軽い意識状態で
若い頃から存在し続けたなら(たら、れば、、は無しだけど)
途中経過がだいぶ違っていたろうなぁ
と感じるが
もはや今となってはそういう考え自体が
「三次元思考」ということなのだ。
何があったか、ということは
一切要らない情報で
今、こうある
ということ、それが全てだ。
しかし実際の話、
友達の手紙を読んで
当時の記憶が鮮やかによみがえった
それは
今の私にはひとつのメッセージのように響く
何も変わっていない。
これが全て。
感傷的な何か、、という性質のものではない。
書かれてあったことは事実、、もっと言うと
彼女の記憶データ。
それを受け止めて、何かを感じているのは
今の私でしかない。
彼女は中学校の物理の先生を長年やっているリケジョだけど
この話をしたらどんな風に感じるのかな。
久しぶりに直接会って話しがしたくなった。
そんな機会が来ると面白いね。
あっきーが作ったでっかいカスタードプリン
本当に旨かった。
パウンドケーキ型で焼いて作ったこの姿に
直接スプーンを投入してがつがつと食べていくんだよ!!
至福のひと時だったね~。
これはヤバイ。
また作ってもらおう。
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