「認定」もう少し詳しく

昨日「認定を出した」と書いた。

それに関しての忘備録。


何に対する「認定」かというとそれは





「生き方」


…というよりも「在り方」


である。

認定を出す、、という言葉は私としてはなんだか上から目線みたいに感じるが

真意は全くそうではなく


「いいね!その調子!」という感じ。

応援であり、「この方からセッションを受けると良いですよ」というおススメだ。



どういう点に関して、私の高次元がOKを出しているのか

もう少し詳細に言語化してみると


・セルフヒーリング(統合と言ってもよい)が日常化している。生活の細かいところにまでかなり浸透している。大事なのは自分を癒すことだけだと腑に落ちている。


・日常生活の中で起こる出来事によって感情が揺れたとしても、自力で「簡単に」元に戻すことができる。


・故に、いるだけ(普通に会話しているだけ)で周囲の人が勝手にヒーリングされていく、ナチュラルヒーラー状態になっている。


・「今の自分がとても満足」


・生産性(収入がある、他人の役に立つ)が全くない状態を快適に受け入れて心地よく生きられる。

生きがい、とか使命みたいなものが無意味だとわかること、、ともいえる。

ゆえに目標は立てない。



ここらへんが最低ライン、、という感じ

しかも上記の状態が70%感覚になっていれば十分「認定」。

あとは自力で純度を上げていけるからそれでOK。



…まぁ~なんていうかな、上記のポイントは本質的な項目ではなく、若干三次元的に置き換えるとそういうことになる、、みたいな話。結局この地球でどう生きることになるのか、三次元的に認識する場合には上のような状態なんだってことだね。


もっと本質的な、次元の高い観点で言葉にすると


認識している全ての事柄は、それを感じている「私」視点が周波数を合わせることによって創造したものである。私が創り出したものなので、私が自由にコントロール可能なのは当たり前である。

ゼロポイントのフォースが「私」宇宙で具現化されるわけだが、それがどの波動域(周波数帯)で起こったとしても何も差は無い。(妄想でパリに行っても肉体でパリに行っても実は価値に差が無い、と認識できること)

「体験することに意味がある」という思考こそ「ザ・地球人」です(だから地球に来たんだけど)。アセンションする、ということはこの感覚から抜けて元の宇宙的意識状態に戻ることなのです。それでも「体験したい」と思う場合は地球の波動にとどまりたい、という意思であって「アンタも好きねぇ」てことになるのです。

そして、日々は「今」の連続であって(というか「今」しか存在していない)、その「今」は常に何らかのゼロポイントからのフォースが具現化する形で認識=創造される。「私」宇宙全体がコヒーレント(歪みやよどみが無く一貫していること)である時、「私の今=ゼロポイント」になるので、高い波動状態になる(三次元に言い換えると心地よくワクワクに包まれて”軽快に”パフォーマンスが最大限発揮される…ゾーンに入るというのはこれに近い)。


以上。この文章が一体どういうことなのかおおまかわかって「確かに、ホントにそうだ」と感じられれば「認定」かね~。


ま、思い悩むということは「ありえない」。

怒ることも「ありえない」。

無価値観ってのももちろん「ありえない」。

「お金がない」も「ありえない」=お金が入ってくることを指すのではなく、お金が無くても「無くて大変だ、困った」と一切感じないということ。

「彼氏がやさしくしてくれなくて寂しい」も「ありえない」。

「会社の上司の一言で傷つく」ことも「ありえない」。

「子供が言うこと聞かなくてムカつく」ことも「ありえない」。

「失敗」も「後悔」も「ありえない」。



どうやったらそういう感情になれるのか、、意味不明~♪不思議~♪

いや、ちょっと前までそういうことを散々やってた記憶は、、今はある。まだ残っている。


日々、そういうものも思い出すごとに速攻捨てちゃうから、どんどん記憶は薄まっている。

どうやって怒ったら良いのか、あんまりわからない。怒り方がわからない感じかな。


私が怒らないので、問題みたいなことが起きても一瞬で消えていく。

私の日常は平和そのもの。毎日が平和。穏やか。


宇宙は、何も起こっていない。

あるのは「私」だけ。

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。