優等生思考からの脱却

優等生思考=優等生のことではない。


他人と自分を比較して自分の方が勝っていると感じられるかどうか、、ということに対する執着や敏感さ…という感じか?

・失敗(を他人に知られること)を極端に嫌う

・怒られることや注意されるとひどく傷ついて落ち込んでしまう

・失敗から学ぶ、、というよりは失敗した自分は能力が無いという考えになりやすい。

・「誰かよりも上手にできた」「この中で一番だった」という思考になりやすく、そう思うことで安心感や優越感を感じる。

・「誰かよりも勝る」ための努力を惜しまない。


…上記、全て私の中に充満し、私の頑張る原動力になっていた性質である。

私のことなので、ほかの人には当てはまらないかもしれない。

似た感じを持つ人もいると思うが。


優等生、、という言葉自体が「比較」のニュアンスを含んでいるように感じる。

限られた環境の中で秀でている、、というだけのことであって、別の環境に入ると「凡人」になることだってある。(私の中学→高校がそうだった)


なぜそこに執着するか…それは理由は様々かと思うが

私の場合は「親の機嫌を損ねないため」ということが大きかった。

最初の比較対象は、、おそらく近所の幼馴染たちだったように思う。

私の隣近所には優秀な人たちがなぜかたくさんいた。


幼心に、私の母がその子たちに私が負けないように、、と焦っているような

そんな様子を感じていたと思う。

なんせ、劣等感があった。


私は今でも基本的に「上から目線」「偉そうなしゃべり口調」だが、それは大人になってそうなったのではなく、記憶をたどると小学校3年生あたりから急に変化したのではないか、と思われる。

そういう態度で生きる根本に上に書いたような「優等生思考」があったことは間違いないと思う。



さて、なぜそんな話になったかというと

今日のABCクッキングスタジオだ。

今日は待ちに待ったシュークリームで

写真を見ればそこそこできているように見える。

実際、味は抜群に旨い。


が、4人が一緒に作って

私のシューが一番膨らまなかった。

他の3人のシューの3分の2程度だった。


これには一瞬大きく反応してしまった。

「一番良くできてないといけないのに」…と脳が焦っていた。

なぜ?なぜ?と脳は自問自答しようとする。


ここで以前の私であればストレスをかなりためて

気分だだ下がりでひどく落ち込む、、ということになっていた。

私は仕上がりの美しさをすごく大事にしている。(私なりに)

完璧主義なところがある。


が、アセンションしているので

さすがにそうはならない。


「お~、キタキタ」

この感じ、いつもの感じだ。優等生思考。出たね。

いいよいいよ。わかる。そうだよね。


と、脳である私に語りかけることで焦りは消える。

気分が下がることもなく、原因究明のために先生に質問をする。


「この膨らみの差はどうして出たんでしょう?」


先生はいくつかの可能性を教えてくれた。

私の目の前の生徒さんはめちゃくちゃ大きく焼きあがっていた。

その方の作業を私はずっと見ていた。

脳はささ~っと検証を始める。


それで、1か所、明らかに作業の感じが異なる部分があったことに気づく。

その作業をしている瞬間、

私は「私は先生の指示通りに行っているが、目の前の人はちょっと違うと思う」と感じていた。私の方が正解だと思っていたのだ。


が、そこが最大のポイントだった私の方に不足があった。

先生とそれについて話して、何がどんな作用をしてその違いを生み出したか、ということがだいたい判明した。



…ということで

今日か明日、再度シュークリームをつくることになるだろうね^^


よく「馬鹿になりなさい」と若いころから言われていた。

私馬鹿だも~ん、っていう気分でいれば


失敗することや、否定されること、怒られること、注意されたり自分が上手くいってないと感じたりすることも、全て情報収集のきっかけなる。学ぶチャンス到来!というだけの話だ。

思うようにならない時、以前はブチ切れて怒ることもあった。ひどい時は相手を攻撃することもあった。気が済むまでポテチ食べまくったりとか。(笑)


が、もうそういうこともなくなった。

もうだいぶクリアできているかな、、と今日のシュークリームは教えてくれた。



しかし、このままで済むと思うな。

必ずシュークリームを安定的に作ることができるようになるんだから!!

できるまでやめない。


待ってろ!シュークリーム!!!







Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。