怒りの炎

うちのあっキーは
相変わらず日々怒っている。

パン作りを失敗したといっては怒り
イチジクがしおれたといっては怒り
ゲームで負けが続くと奈落の底に落ちて怒りまくっている。

私はあっキーの怒りを見ても
ほとんど何も感じなくなっていて

あれ、今度はどうしたのかな?
くらいの関心しかない。

1人で怒っている場合は何も問題はない。自由に怒っているだけだから。

時々、私に向かって憤りの気持ちを吐露してくる。この時がなかなか難しい。

「あぁ、そうなの~ふーん」とか
「大変だったね~」

みたいなことしか言えないわけだが

「おかしいと思わないか?」とか
「どうしたら良いと思う?」なんて聞かれてしまうと

彼の怒りに同調するわけではないので
(私は怒らないから)

「そう?よくわからない」とか
「私はそういう風には感じないけどね」とか
「それの何がいけないの?」

という返しになってしまう。


すると、彼にはこれが面白くない。
そうすると怒りの矛先が私に向くことになり

私は怒られる。


それで

「ごめんね~」と私が謝る。
それで大概収まっては行く。


怒りはまさに燃え盛る炎で
怒っている本人はあり得ないほど強力なエネルギーを爆発させているので

周りからの働きかけで沈静化する事は難しい。


そこに同調すればさらに元気に燃え盛るし、水を差せば火炎瓶がこちらに向かって飛んでくる。


今日はそんな日だった。

怒りの火炎瓶をとばしてきた人に
ごめんなさいと謝ると

怒っていた人はその後
自己嫌悪でひどく落ち込んで
別の怒りを発動させる。


その姿を見ながら
かつての自分もそうだったな、という思いがわくし

最近では
不思議な、温かい愛情みたいなものも湧いてくる。

自分に怒りの矛先が向いた直後は、少しの間引っ張られてびっくりしたりする。それは、さすがにまだそういう反応はある。

が、引っ張られて反応しているのは私の「脳」なので
しばらく脳の反応を受け止めて許していると落ち着いてきて

柔らかい感情に変化する。
(セルフヒーリング)


怒っている人はその人自身の選択によって怒り、そして怒るのをやめない。

だから、それはそれで良いのだ。
怒りたい意志を尊重する。

が、私は怒る気がないので同調しない。
言葉を尽くしたり、話を逸らしたりしてモヤモヤな感じに中和するようにしているが(優しさをつかう)


それが追いつかずピシッと亀裂が入ったりする。


ま、それも必要で起こっている。

シビアな実践の現場で今、私は私に向き合う。

あぁ、この人生、
こういうことの繰り返しだったなぁ。


今回は、大丈夫です。
乗りきります。


もう、乗り越えるのは難しくない段階にきた。


もう少し、キチンと透明で居られれば更に進むだろうと思う。

Cynthia Roses 布と花と歌の日々

気が付いたら…縫って、お菓子作って、また縫って、仕事で縫って、たまに歌を歌う日々。 群馬県の高崎駅周辺で暮らす中年女子の日常。