小坊主が饅頭を食べる話~その3
小坊主が饅頭を食べる話~その1
小坊主が饅頭を食べる話~その2
この一連の話の中で間違っている人はいるだろうか。
ちょっと変わり者の小坊主
それを見ている周囲の人たち
この文章を読んでいる人たち
これを書いている私
もちろん、誰も間違っていない。
(その1)で最初に小坊主のことを「間違っている」と判断した人は、間違っているだろうか。
一つ目の饅頭、二つ目の饅頭をすっ飛ばして3つ目の饅頭だけを食べれば
3個分食べたのと同じ満腹感が味わえるのでは、という小坊主の発想は
「その次元」では勘違い、と言える。だから、「その次元で」間違っているという判断はごく自然かもしれない。
しかし、(その2)で3つ目の(と小坊主が決めた)饅頭一つだけ食べて、時間を少し置いたら結局満腹になった小坊主は、最初の憶測は「その次元」ではもちろん大きな勘違いだが、その発想を具体的に実行したことで、全く別次元の気付きを得ることができた。
そもそも饅頭を3個食べる必要が無かった。1個食べれば十分だった。
最初は「間違い」かと思われたが、その間違いをプロセスとして通過することによって、一つの「新しい正解、気付き」にたどり着くことになる。
そうなると、「間違い」が単なる間違い、ミスとは言えなくなる。
その間違いによって気付くことができた。必然だった。となるのだ。
では、ここで質問です。
この話の中では「正解」「間違い」という判断の不確かさ、、や、ものの見方や捉え方の違い(次元の違いともいえる)によって、簡単に判断が変わってしまう、、みたいなことを読み取ることができますが
一つだけ、
絶対的な正解
絶対的な正論
が存在しています。
それはなんだと思いますか。
(その4へ続く)
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